大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第一小法廷 昭和58年(あ)829号 決定 1985年10月21日

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人伏見禮次郎の上告趣意のうち、憲法一一条、三一条違反をいう点の実質は、単なる法令違反の主張であり、憲法三八条違反をいう点は、記録によれば、所論各供述調書につき任意性があるとした原判断は相当であるから、所論は前提を欠き、判例違反をいう点の実質は、事実誤認の主張であり、その余は、事実誤認、単なる法令違反、量刑不当の主張であつて、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

なお、刑法一一七条の二前段にいう「業務」とは、職務として火気の安全に配慮すべき社会生活上の地位をいうと解するのが相当であり(最高裁昭和三〇年(あ)第四一二四号同三三年七月二五日第二小法廷判決・刑集一二巻一二号二七四六頁参照)、同法二一一条前段にいう「業務」には、人の生命・身体の危険を防止することを義務内容とする業務も含まれると解すべきであるところ、原判決の確定した事実によると、被告人は、ウレタンフォームの加工販売業を営む会社の工場部門の責任者として、易燃物であるウレタンフォームを管理するうえで当然に伴う火災防止の職務に従事していたというのであるから、被告人が第一審判決の認定する経過で火を失し、死者を伴う火災を発生させた場合には、業務上失火罪及び業務上過失致死罪に該当するものと解するのが相当である。

よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、主文のとおり決定する。

この決定は、裁判官谷口正孝の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官谷口正孝の補足意見は次のとおりである。

一  本件被告人の所為を、刑法一一七条の二前段の業務上失火罪及び同法二一一条前段の業務上過失致死罪として処断する場合、右両法条にいう業務の意味については、自ら異なるところがあり、法廷意見に示すように、前者については、「職務として火気の安全に配慮すべき社会生活上の地位をいう」ものと解し、後者については、「人の生命・身体の危険を防止することを義務内容とする業務も含まれる」と解することについては、私としてもいささかも異論はない。両法条とも業務の概念を用いているが、前者が単純失火罪の加重類型として、そして、後者が単純過失致死罪のそれとして、それぞれ業務を特に刑の加重事由としたゆえんのものは、両法条の予定する保護法益との関係においてその侵害行為が単純過失による場合に比べて特に過失の程度が重いとされたからであり、その重い過失により両法条の予定する保護法益を侵害した者として業務者を考えたからである。すなわち、特定の業務に従事する者については、当該保護法益侵害の危険を回避するについて特に重い注意義務(実務上業務上の注意義務という)が課せられるのであり、その重い注意義務に違反したが故に刑が加重されるという構造になるわけである。そうだとすると、両法条について同じく業務の概念が用いられているとしても、その解釈においては、業務の文言から離れることなく、当該保護法益侵害の危険を回避するについて特に重い注意義務を課せられている業務者とはいかなる地位にある者をいうのかということを確定する作業が必要である。もちろん、その作業を進めるについては永い間の判例の集積がある。法廷意見は、これらの判例を検討し考慮を重ねたうえ、刑法一一七条の二前段と同法二一一条前段にいう業務の意義について、それぞれそこで示されているような解釈を示したわけである。

二  ところで、現行刑法典には、明治四〇年の制定当初から昭和一六年の改正まで三四年間の長きにわたつて、過失致死傷罪については、その加重類型としての業務上過失致死傷罪の規定が存したが、重過失致死傷罪の規定はなく、失火罪については、昭和一六年の刑法改正で漸くその加重類型としての業務上過失及び重過失の場合が刑法一一七条の二として追加され、やがて昭和二二年の刑法改正により過失致死傷罪についてその加重類型としての重過失致死傷罪に関する規定を同法二一一条後段に追加し、昭和四三年の改正によりその刑を重くし、現在にいたつているのである。われわれは、刑法二一一条及び同法一一七条の二の規定にいう業務の意義についての解釈を示した数多くの判例を引きついでいるわけであるが、これらの判例を理解するについては、やはり刑法典の変遷を頭に入れてかからなければならない。過失致死傷罪についてその加重類型としての業務上過失致死傷罪における業務の意義として判例の示すところは、右の如く同じ加重類型としての重過失致死傷罪(刑法二一一条後段)の規定を欠いていた当時に形成されたものであつた。そこでは、単純過失致死傷罪に当たるとしか認められない事案について、刑の加重を導くためだけの理由として業務の意義を極めて広く解した事例も見られるのである(例えば、加持祈とうによる致死について業務上過失致死罪の成立を認めた大審院判決昭和一〇年三月二五日刑集一四巻三三九頁を見よ)。

もともと、刑法上の業務について、「人が継続してある事務を行うについて有する社会生活上の地位であつて自ら選択したものをいう」(最高裁判所昭和二六年六月七日第一小法廷判決・刑集五巻七号一二三六頁、大審院判決大正八年一一月一三日刑録二五輯一〇八一頁参照)と解した場合、その業務を冠せることにより刑法二一一条前段の業務上過失致死罪、あるいは同法一一七条の二前段の業務上失火罪について単純過失致死罪あるいは単純失火罪に比べて刑の加重類型とする理由を直ちに導きうるものとは考えられない。むしろ、このような業務を理由とする加重類型の存することは、学説がつとに指摘しているように、裁判所をして、「余りにも喜ばしくない形式に堕せしめ、また実質上理由なき区別に没頭せしめた」という批判を免れない。刑法一一七条の二前段の業務上失火罪の業務性を確定するについて裁判所がどれだけ重い解釈の作業を重ねてきたかを考えてみるべきである。そして、それだけの労力も単純失火罪についての加重類型としての右一一七条の二後段の重過失、単純過失死傷罪についての加重類型としての同二一一条後段の重過失の規定が整備される以前のことであれば、それはそれなりに評価されてよかつたであろう。しかし、右重過失の各加重類型が整備された現在、右各規定前段の業務概念の意味を解釈する作業は、法律が存するが故にということだけで、裁判所に実益のない努力を強いているもののように思われる。そして、本件について法廷意見に示すところは、まさに、本件被告人については、原判示の人の死の結果及び原判示建造物焼燬の結果の発生することは容易に予見しえたところであり、従つて客観的にみてそれらの結果の発生は容易に回避しえたということ(原判決はその点を詳細に説明している)を強いて業務に結びつけて説明しただけのことであり、刑法一一七条の二後段、同二一一条後段の重過失の加重類型に該当する事案として解決しえたはずのものである。

私は、右刑法の各規定前段に存置されている業務上失火、業務上過失致死傷罪の加重類型は、重過失による加重類型が整備されている現在既にその存在意義を失つたものと考えるが、未だ右業務上過失の加重類型が明文として存在し、しかもわれわれとして過去の判例の集積を引きつぐ以上、右各規定にいう業務の意義については、法廷意見に示すとおりに解釈し、業務上の過失と重過失とを同趣旨に帰する規定として扱う方法を選ばざるをえないであろう。

(裁判長裁判官和田誠一 裁判官谷口正孝 裁判官角田禮次郎 裁判官矢口洪一 裁判官髙島益郎)

弁護人伏見禮次郎の上告趣意<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例